2024年1月

恋愛やめるわ

人間関係は個別具体的であるはずなのに、「付き合いましょう」と口頭で合意を得た人間関係は似通っているように思う。

付き合った瞬間、いきなりルールブックが現れる。

外で手をつないでOK、セックスしてOK、週1ぐらいで会うべし、記念日やイベントには贈り物を届けるべし、友だちより大事にすべし、他の人のことを好きになってはいけないし、1~2年付き合ったら同棲して、3年も付き合えば結婚しなきゃいけない。あ、別れたら会っちゃいけないよ!など。

私は一人暮らしが長いからか、今日あったことを一から全部誰かに話す習慣がなく、落ち込んだり、しんどくなっても人にありのままの気持ちをさらけ出すことは少ないのだけど、パートナーにはそういうことを話した方がいいらしい。付き合うということは特別な関係だから。

そこかしこで行われている恋バナは往々にしてそのルールブックに基づいてなされていて、そのルールブックは社会のマジョリティの空気感を反映して作られている。

そして恋バナは盛り上がる。それぞれの実体験に照らして話せるから。当事者性が高い。恋や愛の文脈で話される相手の言葉は、他の言葉より確からしく聞こえることもある。ただ、ときに言いたい放題、マウントの取り合いになる恋バナは奇妙に思える。人それぞれでよくない?

20代に入って、誰かと1年以上付き合ったことがないことは私のコンプレックスの一つであり、克服しようと自分なりに向き合ったけど、「付き合う」という人間関係で定義されている価値や倫理はやっぱり馴染まない。

近しい友人からもよく「おまえは終わっている」と伝えられる。恋愛の過程や結果において、相手を傷つけることはいけないし、それは終わっていると思う。ただ未だにそのルールブックに書かれていることでわかっていないことが多い。というより私は私のことがよくわかっていない。

“友だち”という関係性において、嫌だなと思うとき、イライラするときはある。そういうときは距離感をうまく取って対処できるのに、なぜか付き合うとできない。

ただ、わかってきていることもあって、一つは、私には人の言葉を真に受けすぎるよくない癖があること。そして、私が“付き合う”というルールブックを誰よりも意識し、内面化しているということ。カップルとは〜〜あるべき!相手の期待に応えてなんぼ!という誰かが決めた価値や倫理を必死に取り込んで、実践しようとして、できなくて、相手のことが重荷になってしまって、別れを選んでしまう。確かに最低!!!

だからもう本当に気にしない領域に行くために一旦恋愛やめるわ。

「今年で27歳?そろそろ結婚とか考えなきゃだね!」
「そうっすね!(笑顔でスルー)」

色んな人にインタビューして、ルールブック~ガチ版~作ったろうかな。

 

今年は映画100本観る

私の趣味は映画鑑賞、読書、飲酒です。おもんないよな。でもほんまやねん。

特に映画を観るということは私にとって大事なことで、20歳前後のメンタルが不安定なときに観た映画に、救われたというか、頭なでなでしてもらったというか、ギュッとしてもらったという感覚を抱いてから、映画を観ることは大事な時間で大事な趣味。あとシンプルに「映画観てるやつはかっこいい」と思っている節がある。

なのに去年はまったく映画が観れなくて、サブスクの「つづきを再生」の項目に、15分ぐらいだけ再生した映画が8本ぐらい並んでた。まじで集中できなかった。

今年は映画100本、本100冊、ピザ100切れのトリプルハンドレッド目標を設定したので、年明けからどしどし映画を観ている。100本観ると思ったら、どれにしようかな~と選ぶことにかける時間が減っていい。とにかく次々観ている。

サブスクにはないけど、ツタヤにはある映画。特にジブリ北野武の映画が観たくて調べた結果、「ツタヤディスカス」というサービスを登録した。

しかしこのツタヤディスカスは非常に使いにくい。

・「定額リスト」を使って、レンタルしたいDVD/CDを登録します。
・定額レンタルプラン(無料お試し含む)では、「定額リスト」に借りたい商品をあらかじめ登録しておくと、リストの優先順位と在庫状況に応じて、発送可能な商品を自動的に選び出してお届けします。
・発送可能な作品がないと発送されませんので、なるべく多くの商品を登録しておいて下さい。
・届いた商品をご返却いただくと、続いて次の商品が発送されます。

特に「リストの優先順位と在庫状況に応じて、発送可能な商品を自動的に選び出してお届けします。」の部分ね。謎の重みづけがされて、ツタヤディスカス都合で決められたDVDが送られてくる。借りたいときに借りたいDVDが借りられるわけではないのである。

でもこの仕組みが好きになってきている。
次なに届くかな?とわくわくしてしまっている自分がいる。
ちまちまアプリを開いては、定額リストの並べ替えをしてしまっている。

これがツタヤディスカスの罠です。

地元にTSUTAYA WAYというでかいツタヤがあって、ほんとにしょっちゅうお母さんに連れていってもらって、CDやDVDや漫画を借りたり、返しに行ったり、本を立ち読みしたり、よくわからん雑貨を買ってもらったりしていた。

スラムダンクとか、往年の名作漫画はほぼTSUTAYA WAYで借りて読んだ。レンタル期間は2週間。3人兄弟なのでみんなで一気に読んだ。弟は読むのが早かった。

今思えばTSUTAYA WAYが私の文化への関心の始まりだったと思う。

そのTSUTAYA WAYは私が高校生の頃に閉店して、その後ゴルフショップができて、それも閉店して、今は更地。なんかさみしいよな。

 

スローガン的な

昔に比べればずいぶん自分のことがわかってきたが、一方でどんどん自分のことがわからなくなっている。

自分を見つめるためにSNSをやめる。相対化しない。選択肢を持たない。

自分の本当の欲望を知りたいと思うから、自分らしくあることを大事にする。

ありたい自分の姿があって、それに照らしたときに認めたくないこともある。正直もっとお金稼ぎたい。かわいい子が好き。とか。
でも正直に認める。シンプルに解釈する。KOHHになる。

いつまで経っても自分のことばかりで情けなくなる。

社会のことは考えて、社会と接していたい。
わかりやすさに群がらず、意志を持って接する。近づく。